この記事では次の内容についてお伝えしていきます。
- 小中学生時代とバレーをはじめたきっかけ
- 星城高等学校時代の実績と功績
- 中央大学時代の実績と功績
石川祐希の小中学校時代とバレーをはじめたきっかけとは
FOD・CSフジテレビONEにて
— フジテレビ☆バレーボール (@fujitv_volley1) August 4, 2023
8月7日(月)20時からスポーツドキュメンタリー番組
『スターアスリート』の配信・放送がスタート✨
記念すべき初回のアスリートは #石川祐希 選手に決定👏😻
「世界一のプレーヤーを目指す」と誓った石川選手の成長と進化とは…
約10年間の密着映像を交えてお届けします🎥🎞️ pic.twitter.com/73nTrUXXaw
2024年5月の記者会見で「世界一のプレーヤーになる」と、明確な目標を言葉にしたのは世界のトップリーグ「セリエA」のペルージャに所属する「石川祐希(いしかわゆうき)」選手(28歳)、いまや日本代表の司令塔を担う「世界トップレベルのバレーボール選手」です。
石川選手は「日本バレーボール史上最高の逸材」と言われており、高校時代は公式試合99試合無敗、2年連続三冠達成(計六冠)、大学時代は全日本インカレで3年連続優勝を果たすなど、日本バレーボール史上、最も輝かしい実績を残しており、さらに記録を更新し続けるスター選手なんです。
石川祐希のプロフィール
- 名前:石川祐希(いしかわゆうき)
- 年齢:28歳
- 身長:192cm
- 体重:84kg
- 血液:AB型
- 出身:愛知県
- 家族:父、母、姉、妹
- 所属:ペルージャ(セリアA)
- ※2024年7月現在の情報になります
この記事では、そんな日本の男子バレーボールをけん引する石川祐希選手の学生時代の実績や功績、バレーボールをはじめたきっかけなどについて詳しくお伝えしていきたいと思います。
岡崎市立矢作南小学校時代とバレーボールをはじめたきっかけ
男子バレーボ−ル
— xxx777 (@bvlgari030) June 7, 2024
石川祐希選手 小学生 pic.twitter.com/Fh1GP2UNq3
2002年4月、石川祐希選手は地元の岡崎市立矢作南小学校に入学します。この当時は、日韓ワールドカップが開催された頃で、日本中がW杯に熱くなっていた頃でもありました。石川選手もその一人で、生まれて初めて興味をもったスポーツがサッカーだったそうです。
しかし、その頃は地元にまだサッカークラブなどがなかったようで、小学3年生から野球を始めたそうです。
そして、石川選手が小学校4年生になったある日のこと、1つ上の姉「石川尚美」さんが所属するバレーボール部の練習を見学することになったそうです。尚美さんから「1回(コート)に入ってみなよ」という一言を受けて、彼女たちの練習に交じって参加したところ、いきなり石川選手はスパイクを打つことができたそうです・・・末恐ろしいですよね(才能をいきなり発揮ですか)。
その姿を見ていた、尚美さんやチームメイトは「スゴイ!」と思ったそうで、石川選手はこの体験がきっかけで野球を辞めてバレーボールに軸足を移すことになります。つまり、石川選手はこの時のお姉さんのお誘いがきっかけで、バレーボールをはじめることになったんですね(まさに姉の偉業達成の瞬間)。
なお、偶然なのか必然なのか、矢作南小学校のバレーボール部というのは、全国屈指のバレーの強豪チームで、石川選手も6年生の時に全国大会ベスト8を経験しています。
岡崎市立矢作中学校時代
石川祐希選手が出ていた雑誌をゴソゴソ探してみました。中学生の時です。 pic.twitter.com/yDPvUa3tEA
— ななき🦌🍽💛 (@nanakinakana) December 2, 2018
小学校を卒業した石川祐希選手が入学した、岡崎市立矢作中学校もまたバレーボールの強豪校でした。
しかし、中学入学当時の石川選手の身長は160cmほどで、相手チームに長身の選手がいた場合は思うようにスパイクが決められなかったそうです。
それでも日々、部活動に明け暮れるなかで石川選手は、スパイクの打ち方やスパイクのコースなど1本1本を丁寧かつ徹底的に叩きこまれながら、バレーの技術を基礎から吸収していきました。
そして、入学当初は悩みだった身長も2年生の時には「170cm」、3年生の時には「180cm」を超えていき、3年生の頃にはチームを支えるエースにまで成長していくことになります。
その頃の戦績ですが、石川選手が3年生で出場した2010年の「第40回 全日本中学校バレーボール選手権」では”3位”に入賞、「全国都道府県対抗中学バレーボール大会」では”準優勝”ではあったものの、両大会ともに「優秀選手」に選ばれたことから、石川選手の評価はすでにこの頃から高かったと思われます。
- 2010年~全日本中学校バレーボール選手権大会「優秀選手」
- 2010年~全国都道府県対抗中学バレーボール大会「優秀選手」
石川祐希の星城高等学校時代の実績と功績
普段、スンっとクールな石川祐希選手の笑顔と、吠えるお顔と最高🥹
— もとこ (@motokokandora) October 6, 2023
さすが星城高校時代に史上初の6冠したチームの中心選手よ🥹バレーうますぎて惚れ惚れするう… pic.twitter.com/1O8hAHFXUM
【#石川祐希 選手からの応援メッセージ💌】
— フジテレビ☆バレーボール (@fujitv_volley1) January 3, 2024
春高いよいよ明日開幕⏰
日本代表に欠かせない絶対的エースの#石川祐希 選手から応援メッセージをいただきました💌#星城 高校では史上初の高校6冠を達成👑
絶対王者として圧倒的な強さを見せつけた高校時代🏫… pic.twitter.com/GogmYzNmaQ
中学3年生で頭角を現した石川選手は、これまたバレーボールの名門校である「星城高等学校」へと進学し、恵まれた環境のもとで恩師や先輩らの指導を受けることになります。
進学した星城高等学校では、基本的に夏頃までは新入生を試合には起用しないという方針だったようなのですが、しかし石川選手だけは入学直後からレギュラー争いの機会が与えられていたと言うからすごいですよね。
また、この当時の竹内裕幸監督は、練習メニューを選手たちに一方的に与えるのではなく、選手側の意見や意向にも沿う形で、一緒に練習メニューも組み立ててくれたようです(まさに二人三脚)。
際立っていたのは、練習前に行う「30分間走」で、その内容は生徒自身が一人一人、自分で考えて行うためサボる生徒や緩く走る生徒などもいたそうそうです。このトレーニングの本質こそ好事例だったと思いますが、石川選手は、誰かに言われてやるのではなく、自らの意思で努力することの大切さを学んだ高校時代について、人間的にも成長できた3年間だったと語っています。
こうして、厳しい練習を積み重ねる中、石川選手が2年生から3年生の2年間、ほとんどが同じレギュラーメンバーで、「インターハイ」、「国体」、そして「全日本バレーボール高等学校選手権(春高バレー)」という、バレーボールの甲子園と言われる大会を含んだ、高校3冠を前人未到の2年連続、つまり6冠達成することに成功します。
石川選手は、高校時代の部活動を契機に、恵まれた体格とこれまで培ってきた技術を武器に、バレーボール選手としての将来へのキャリアを積み上げて大きく飛躍していくことになります。
- 2011年~全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会(インターハイ)「優秀選手」
- 2012年~全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会(インターハイ)「ベスト6表彰選手」、「優秀選手」
- 2012年~アジアユース男子バレーボール選手権「ベストスコアラー」
- 2013年~全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)「優秀選手賞」、「最優秀選手賞」
- 2013年~全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会(インターハイ)「ベスト6表彰選手」、「優秀選手」
- 2014年~全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)「優秀選手賞」、「最優秀選手賞」
石川祐希の中央大学時代の実績と功績
2015.12.5すぽると②
— ロロ… (@roro_nyannyan) December 5, 2015
全日本インカレ
あと一勝でNEXT4対決
中央大学 3-1 早稲田大学
光る石川祐希の存在感 pic.twitter.com/KbfUZ8B8cB
2015.12.4すぽると②
— ロロ… (@roro_nyannyan) December 4, 2015
中央大学 3-0東海大学
石川祐希光る積極性
リベンジでインカレ連覇へ前進 pic.twitter.com/t6kHUgaZY9
星城高等学校卒業後、石川祐希選手はさらなる高みを目指して、バレーボールの名門にして強豪「中央大学」へと進学します。実のところ、石川選手が中央大学を選んだのはいくつかの理由がありました。
石川祐希が中央大学を選んだ理由と入学早々の飛躍
すぽると④ラスト
— ロロ… (@roro_nyannyan) October 18, 2015
2015.10.18
19歳の新たな一歩!
石川祐希”お兄ちゃん”の意地
関東秋季リーグ最終戦
vs.早稲田大学 pic.twitter.com/7CYeMavsD0
その理由とは、1つ「掲げるスタイルやトレーニング環境の充実さ」、2つ「同じポジションで活躍する選手がいる場合、大学での試合出場機会を得らない可能性があるので、競合選手の層が薄いこと」などの理由で進学する大学を選定したそうですから、とても賢い頭脳もきれる逸材であることがわかりますよね。
そして、この戦略は見事に的中し、石川選手は大学入学早々にレギュラーとして春季リーグに出場し、秋季リーグ、全日本インカレと3冠を達成することに成功します。この時に、全日本代表候補にも選出されたり、1年生の9月にはアジア大会にも出場したりと、遂にシニアデビューの実現も果たしました。
大学最後のチームへの貢献に徹した全日本インカレ
全日本インカレ
— cappuccino(risa) (@risa_koba) December 5, 2017
2017.12.3
中央大vs東海大
3セット目24-20マッチポイント。
サーバーの石川祐希選手がサーブをわざと外し、最後は武智選手の攻撃で勝利を決めたシーン。(スポナビ談)
試合後の涙、武智選手が一人一人に声をかける姿も😭#全日本インカレ#中央大 pic.twitter.com/TttLFoP5ea
大学最後となる、全日本バレーボール大学選手権大会(全日本インカレ)で石川選手は、渡欧などの理由から「不在で迷惑をかけた分、貢献したい」という気持ちで戦っていたそうです。
準決勝で惜しくも筑波大学に敗れた中央大学は、4連覇することはできませんでしたが、最後の全日本インカレは自分のためでなく仲間のために戦ったという石川選手。3位決定戦で見事、東海大学に勝利した時には大粒の涙を流してチームに感謝を伝えました。
大学卒業後は世界のトップリーグ「セリエA」の舞台へ
#石川祐希 選手がプロ1年目のシーズンを終えました(*^^*)
— TBS バレーボール (@TBSvolleyboo) March 26, 2019
イタリアセリエA・シエナというチームでプレー。
「シーズンを通して試合に出場し活躍する事」を目標として臨んだプロ1年目は、チーム唯一の全試合スタメン出場👍👍
シエナに欠かせない中心選手として活躍しました🌟#volley#バレー
#🏐 pic.twitter.com/ylvtDOY8c6
石川祐希選手は、大学入学前には「(大学を)卒業したら日本のVリーグで出来るだけ長くプレーしたいと考えていた」そうですが、実際には遥か高みであるイタリアのセリエAという世界のトップリーグでいきなりのプロデビューを果たすことになります。
石川選手は大学在籍中にも、セリエAの各チームよりオファーを受けておりましたが、石川選手のセリエAでの活躍や所属チームに関しては、まとめて「石川祐希のセリエA所属チームまとめ!驚きの海外での評価や反応!」の記事でご紹介しておりますので、ご覧になってみてください。
- 2014年~春季関東大学バレーボールリーグ「サーブ賞」、「新人賞」、「会長特別賞」
- 2014年~全日本バレーボール大学男女選手権大会「サーブ賞」、「最優秀選手賞」
- 2015年~黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会「若鷲賞(最優秀新人賞)」
- 2015年~春季関東大学バレーボールリーグ「サーブ賞」、「スパイク賞」、「会長特別賞」
- 2015年~フベルト・ワグネル記念大会「ベストレシーバー」
- 2015年~ワールドカップバレーボール「ベストアウトサイドスパイカー」
- 2015年~全日本バレーボール大学男女選手権大会「MIP賞」、「ベストスコアラー賞」
- 2016年~秋季関東大学バレーボールリーグ「スパイク賞」、「サーブ賞」、「会長特別賞」
- 2016年~全日本バレーボール大学男女選手権大会「MIP賞」、「ベストスコアラー賞」、「サーブ賞」
- 2017年~バレーボール男子アジア選手権「ベストアウトサイドスパイカー賞」、「MVP賞」
- 2017年~全日本バレーボール大学男女選手権大会「ベストスコアラー賞」、「スパイク賞」
石川祐希の略歴まとめ!高校や大学での実績と功績のすべて!
今回は、以下の内容についてお伝えしてきました。
- 小中学生時代とバレーをはじめたきっかけ
- 星城高等学校時代の実績と功績
- 中央大学時代の実績と功績
いまや、ほとんどの男子バレーボール選手の憧れや目標と言っても過言ではないほどの実力と功績を収めて来た石川祐希選手の驚愕するほどの高校や大学といった学生時代の実績と功績は、並べるだけでとてつもないほどの多くの称号を獲得していることがよくわかりますよね。
また、石川選手はとてもプロ意識が高くストイックなことでも有名な選手で、卓越したパフォーマンス以外でも、その強靭なメンタルについても他の選手は学ぶところが多いのではないでしょうか。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!
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