【訃報】鳥山明が突然の逝去!漫画家たちが悲痛の声を続々公表

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【訃報】鳥山明が突然の逝去!漫画家たちが悲痛の声を続々公表
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漫画家「鳥山明」さんが3月1日に“急性硬膜下血腫”により逝去したことがわかりました。鳥山明さんは週刊少年ジャンプ連載「ドラゴンボール」を世に生み出し、人気ゲーム「ドラゴンクエスト」ではキャラクターデザインを担当するなど、世界中に多くのファンから高い評価をえていました。

鳥山明さんの突然の訃報に、古くから交友のある漫画家らが続々とその胸の内を語っています。

そこで今回は、

・【訃報】鳥山明が突然の逝去!

・旧友の漫画家たちが悲痛の声を続々公表

主にこちらの内容で紹介して行きます。

目次

【訃報】鳥山明が突然の逝去!

出典:「バンダイチャンネル」

漫画家の鳥山明さんが、3月8日に「急性硬膜下血腫」で逝去したことがわかりました。まだ鳥山明さんは68歳だったということもあり、世界中のファンや後輩漫画家たちが驚きと悲嘆の声をあげています。

鳥山明さんの訃報は、プロダクションである株式会社バード・スタジオによって報告があったということで、鳥山明さんは3月1日にはすでに息を引き取っていたということでした。

葬儀は、近親者のみにて執り行ったとのことです。今後のお別れ会などについては未定のため、決まり次第お知らせしますということです。

同社は、世界中のファンに向けたメッセージを以下のように発信しました。

熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません。

ただ、故人は漫画家としていくつもの作品を世に残して参りました。

多くの世界中の方々に支持していただき、45年以上にわたる創作活動を続けることができました。

これからも鳥山明唯一無二の作品世界が、末長く皆様に愛され続けることを切に願います。

生前のご厚誼に深く感謝し、ここに謹んでお知らせいたします。

引用元:集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

小学生の頃からマンガ『ドラゴンボール』をテレビで観て、少年ジャンプを読んで、育ってきました。同時に、テレビゲーム『ドラゴンクエスト」を夢中になって学校から帰宅するといつもプレイしていました。

鳥山明さんの訃報を知ったときは、素直に他人事のようには感じませんでした。彼は、幼少期の自分にとって大きな存在(小学生ながらに知りいまだずっと忘れぬ名前)のですから。漫画家ならずとも、彼の描くキャラクターをマネしてノートに描いていた人はきっと多いのではないでしょうか。

旧友の漫画家たちが悲痛の声を続々公表

出典:「RoYuMi-Vive Japón」

鳥山明さんと古くから付き合いのある後輩漫画家たちからも多くの悲しみの声が寄せられています。

漫画家:桂正和さん

力がぬけて気力が出ません。こんな事のコメントはしたくないですね。
けど、何か書きます。書き出したら、言いたい事だらけなんで、めちゃくちゃ長文になりそうだけど、できるだけ、コンパクトにまとめます。ただ、気持ちがまとまらないので、乱文お許しを。

思い返しても。大袈裟でなく、お宅に遊びに行った時、うちに泊まりに来てもらった時、遊びに出掛けた時、全部が楽しい思い出しかなくて、電話をする度に、疲れるほど笑ってました。面白い人だった。すけべで、可愛くて、毒舌で、謙虚で。

本職の漫画では、合作とかもしたけど、あれも楽しかった。でも、99%漫画の話をした事はない付き合いでしたね。
漫画家として、見てる風景、作家のレベルも違いすぎて、偉大さを意識した事が無かったです。わかってはいます。

けど、本人と接する時は微塵もそれは感じなかった。人柄ですね。だから偉大な漫画家というより、今も友人としてとしか考えられない。
去年の夏、私が手術をする前に、どこかで聞いたらしく、メールくれました。本当ーーに、メールなんて珍しく、心配そうに私の体を気遣う内容。
40年来の付き合いだけど、鳥山さんから、あんなに優しくされたのは初めてだったかも。雪が降るかと思いましたよ。いつもは冗談か、くだらない話しかしないっすからね。なんすか、人の心配してる場合じゃないじゃん、全く。
そのちょっと前だったか電話した時、その頃、色々具合が悪かった私は「多分先に逝くんで、お別れ会とかやってくださいね、鳥山さん仕切りで!あと、箔がつくからスピーチして下さいね!」と約束したのに、守ってもらえなかった。

メールをくれた後、なんで電話しなかったのか、それが、すごく後悔です。もうくだらない話で長電話ができない事が、残念でしかたないです。
話したい事が沢山溜まってます。いろんな話があるんです。興味のない話は、いつものように、うわの空に聞いてもらってもいいんで、もう一度話したいです。
私の、また連絡くださいとのメールの返事に、軽くOKって書いてあったのが最後なんて、ダメです。心底辛いです。

引用元:集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

桂正和さんは、『電影少女』、『I’’s』、『ZETMAN』など数多くの作品を世に生み出してきました。ドラゴンボール同様、週刊少年ジャンプでは必ず読んでいた大好きな漫画家の一人です。

漫画家:尾田栄一郎さん

あまりに早すぎます。空いた穴があまりに大きすぎます。

もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます。子供の頃から憧れすぎていて初めて名前呼んで貰えた日の事も覚えています。

我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。最後に交わした会話も覚えています。

漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり漫画ってこんな事もできるんだ世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。突き進むヒーローを見ているようでした。

漫画家に限らずあらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代にドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。その存在は、大樹です。

同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。怖いくらいに。
でもまた、飄々としたご本人に会えるとただ嬉しい。僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。
鳥山先生の残された創造性豊かな世界に敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。

天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように。

引用元:集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

尾田栄一郎さんは、いまや世界中に多くのファンを持つ『ONE PIECE』で一躍有名になった漫画家です。1997年より週刊少年ジャンプで連載開始されてからずっと、マンガでもアニメでも楽しませてもらっています。

『ドラゴンクエスト』ゲームデザイナー:堀井雄二さん

本当に、あまりに突然な鳥山さんの訃報で、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。

鳥山さんとは、ボクが少年ジャンプのライターをやっていた頃からの知り合いで、担当編集者の鳥嶋さんの勧めもあり、ドラゴンクエストを立ち上げる時に、彼にゲームの絵を頼むことにしました。

あれから37年余り、登場人物のキャラクターデザイン、モンスターデザイン、とても数えきれないほどの魅力的なキャラを描いていただきました。

ドラゴンクエストの歴史は、鳥山さんのキャラデザインとともにありました。

鳥山さん、故すぎやま先生は、ドラゴンクエストを長きに渡って作ってきた仲間でした。
亡くなってしまうなんて‥‥。

これ以上、なんて言えばいいのか言葉になりません。本当に、本当に、残念です。

引用元:集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

ドラゴンクエストは、人生で最も思い入れのあるゲームと言っても過言ではありませんでした。よく、ドラクエ派かファイナルファンタジー派かで別れましたが、個人的には絶対ドラクエ派でしたね。

漫画家:岸本斉史

突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。
ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。

小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。

嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!

大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。
とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。
でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。
僕も先生のような作品を作りたい!
先生のようになりたい!
と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。
漫画作りが楽しかったからです。
先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。

先生はいつも僕の指針でした。
憧れでした。

先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。
僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。
初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。
ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。
ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。

今、先生のご訃報を受けたばかりです。
ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ…
まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。
今は大好きなドラゴンボールも読めません。
先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。
世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。
もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…すみません…
それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。
鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。
そして本当にお疲れ様でした。

残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。
ご自愛くださいませ。
鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます。

引用元:集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

岸本斉史さんの代表作『NARUTO-ナルト-』をはじめ、週刊少年ジャンプに掲載の作品はいつも読んでいます。本当に胸を打つ言葉の一つ一つが想いとして伝わってきました。

他にも、キングダムの作者である原泰久さんは「驚きました。。『ドラゴンボール』は最も熱狂した漫画でした。鳥山先生のご冥福を心から祈ります」とコメントしました。

さらにROOKIESの作者である森田まさのりさんは「鳥山先生!ホントすか・・・!?」と驚きながらも、「仕事が忙しくて後回しになってるドラゴンボールのイラストの仕事がある・・・。仕事の方こそ後回しにしてそれを先にやればよかった・・・。鳥山先生に褒めてもらいたかった・・・。先生!寂しいです・・・!」とコメントしています。

鳥山明さんの突然の訃報に、後輩漫画家をはじめとする多くの著名人らもコメントを寄せています。彼の死を悼む人は、それだけ多く、またそれだけ多くの人たちに影響を与えたということなのでしょう。

漫画家「鳥山明」に感謝

出典:「iZa」

今回は、【訃報】鳥山明が突然の逝去と、旧友の漫画家たちが悲痛の声を続々公表について紹介しました。

ドラゴンボールが始まった昭和のあの時代から、令和の時代になってもなお、人気がある漫画家でした。そして、45年以上に渡る創作活動を通じて、世界中で人気を集め、高い評価を得た、一人の漫画家がその生涯に幕を下ろしました。

一ファンとしても、鳥山明さんの訃報は本当に悔しくて残念でなりません。追悼のコメントからも伝わってくるように、鳥山明さんには漫画家としての魅力だけでなく、一人の生きた人間として人を惹きつけるものがあったのだろうと感じられます。

鳥山明さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!

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沼主

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