2024年1月に警視庁に激震が走ります。およそ50年にわたって逃亡を続けて来た重要指名手配犯である「桐島聡」が発見されたという報道が日本中を駆け巡りました。
昭和の時代を生き、日本の犯罪史上に名を残した一人の男が遂に身柄を確保されたのです。
そこで今回は、
・桐島聡とは一体誰なのか?
・桐島聡が関わった事件と組織を徹底解明!
主にこちらの内容について詳しく徹底解明していきます。
桐島聡とは誰なのか?生い立ちから人物像に迫る
桐島聡は、1970年代の連続企業爆破事件で知られる過激派組織「東アジア反日武装戦線」である「さそり」のメンバーとして名を馳せた人物です。
彼の生い立ちや初期の経歴は多くが謎に包まれていますが、彼の行動や言動からは、その時代の政治的・社会的背景に強く反発し、極端な方法での抗議を選んだことが伺えます。
広島県出身で、明治学院大学に通っていた彼は、大学在学中に極左運動に参加します。
東アジア反日武装戦線とは、1970年代に活動していた武闘派左翼グループです。グループ構成は主に「狼」、「大地の牙」、そして「さそり」の3つに分かれて活動を行っていました。日本の政治体制やアイヌ革命論などを提唱し、各上場企業らへの武力行使による強行を行いました。
桐島聡が関わった事件と組織について迫る
桐島聡が関与したとされる「連続企業爆破事件」は、1970年代に日本を震撼させた一連のテロ行為でした。この事件は「東アジア反日武装戦線」によって実行され、複数の企業が爆破の標的になりました。
この時、桐島聡は1974年(昭和49年)~1975年(昭和50年)の事件に関与した疑いが持たれています。
桐島聡が関わったとされる事件一覧
- 1974年12月23日:鹿島建設爆破事件
- 1975年02月28日:間組本社・工場同時爆破事件
- 1975年04月19日:韓産研爆破事件
- 1975年04月28日:間組作業現場爆破事件(1回目)
- 1975年05月04日:間組作業現場爆破事件(2回目)
この組織は当時の日本の政治体制や米国との関係に強く反対し、暴力的な手段でその抗議の意志を表明します。
桐島は、1974年の三菱重工ビル爆破事件や1975年の韓国産業経済研究所爆破事件など、いくつかの重要な事件に関与しました。これらの事件は、当時の日本社会に大きな衝撃を与え、彼は東アジア反日武装戦線の主要メンバーとして「爆発物取締罰則違反容疑」で指名手配されることになります。
そして、桐島聡は警察庁の重要指名手配被疑者に指定されます。これは凶悪で広域な犯罪のうち、全国警察を挙げて捜査をする必要がある容疑者を指定する制度です。
桐島聡の長きにわたる逃亡劇
事件後、指名手配された桐島聡はおよそ50年間もの逃亡生活を送ることになりました。
桐島聡は、1975年当時に組織の他のメンバーが逮捕された後に、逃亡を開始します。そしてそれ以来、公の目からは一切姿を消しまいました。この長期にわたる逃亡は、日本の捜査当局にとって長年の課題であり、彼がどのようにして長期間にわたり潜伏を続けることができたのかは、大きな謎の一つとされていました。
2024年1月25日に神奈川県の病院で発見されるまで、桐島聡の存在はほぼ神話のようなものとなっていました。桐島聡が指名手配からに身柄確保されるまで、およそ48年もの時間が流れていました。
今後の桐島聡「逮捕劇」と「胸中」について続報を待て
今回は、桐島聡とは一体誰なのか、桐島聡が関わった事件と組織について出来る限り解明をしました。
正直なところ、桐島聡の長きにわたる逃亡期間中のエピソードについては、謎のベールに包まれており、今回は詳細を解明することは出来ませんでした。しかし、これからの警察の取り調べや調書によって、少しずつその中身が明らかにされていくかと思います。
なお、報道機関によると、桐島聡はすでに末期がんを患っているとのことでした。今後の桐島聡の「逮捕」はどうなるのか、いまの「胸中」についてどう思っているのかなど、今後の続報がわかりしだい、記事にしたいと思います。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!
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