この記事では次の内容についてお伝えしていきます。
- 渋沢栄一の孫によって起きた預金封鎖とは
- 新紙幣発行の状況が預金封鎖当時と酷似している理由
渋沢栄一の孫によって起きた預金封鎖を詳しく解説
1896年8月25日、渋沢敬三が生まれました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) August 24, 2023
渋沢栄一の孫かつ後継者としても知られています。
終戦後は大蔵大臣として金融政策を進めるも、公職追放、財閥解体の憂き目に遭います。
しかし敬三は「ニコニコしながら没落していけばいい。いざとなったら元の深谷の百姓に戻ればいい」と語ったそうです。 pic.twitter.com/JwHCRkuvPd
新一万円札の渋沢栄一氏を調べると凄い実業家である事がわかり今まで知らなかった自分が恥ずかしくなった。
— マーシー@不動産投資家 (@rees_cpm) July 2, 2024
それと同時に渋沢栄一氏が残した言葉で感銘を受けた言葉がある。
「無欲は怠慢の基である」
欲は人が何かをするための原動となり成長するために必要不可欠なもの。
ワイの座右の銘決定です。 pic.twitter.com/6BxTXKG8pp
2024年7月3日、あの日本経済の父「渋沢栄一」がデザインされた、新紙幣がいよいよ流通します。しかしいま、このタイミングで新紙幣が発行されることと、そのデザインに渋沢栄一が使用されていることから、再び日本に「預金封鎖」が起こるのではないかという噂が蔓延しています。
そこで、ここでは「渋沢栄一の孫によって起きた預金封鎖」について詳しく、できるだけわかりやすく解説していきたいと思います。
新紙幣発行と預金封鎖
1872年9月13日、幣原喜重郎が生まれました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) September 12, 2023
加藤高明 若槻礼次郞 浜口雄幸内閣で外相を務め、第一次世界大戦後のワシントン体制維持や対英米協調、対中国不干渉を旨とする「幣原外交」を展開しました。
戦後に組閣しますが、これは1931年12月に外務大臣を辞してから14年ぶりの政界復帰でした。 pic.twitter.com/JBzPbsg8oh
1946年2月16日、当時の男爵であった幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)をはじめとする幣原内閣は、国民に何の予告もなしに「新円」への切り替えを発表します。そしてそのすぐ翌日となる17日、すべての国民の預金封鎖が実施されました。
これらの決定は、当時の大蔵大臣を務め金融政策や経済改革の中心物であった、かの有名な「渋沢栄一の孫である“渋沢敬三”」によって決定、実行されたと言われています。
預金封鎖の理由
預金封鎖の理由としては、第二次世界大戦後の日本は極度のハイパーインフレに直面していたのです。
原因は、戦争による物資不足と、戦争の費用(戦費)を賄うために大量に発行された戦時国債によるものでした。その時の日本の戦時国債(日本の借金)は、当時の日本のGDPのおよそ2倍もの発行金額となっており、結果として「物価が急騰(いまの日本をイメージするとわかりやすいですね)」してしまい、物価高となったインフレを抑制するため、政府は「通貨政策」を強行することになったのです。
預金封鎖の背景
太平洋戦争戦後間もない、日本では国内の人口が急増し、戦争直後だったことから食料や物資が不足する事態に陥いっていました。そのため、「いくら払っても、欲しい物はほしい」といった具合で、需要(買い手)が供給(売り手)を上回った結果、急激な「物価高」が起こったのです。
日本政府はこのインフレを鎮静化するため、「お金の流通そのものを抑制する」という対策を講じる判断をしました。こうして、戦後のインフレ抑制と財政再建を目的として、「預金封鎖」と「新円切替」が登場したというわけです。
預金封鎖の内容
1946年2月17日に実施された「預金封鎖」ですが、国民は主に以下の措置を講じられました。
銀行預金の引き出しを制限して、事実上の「口座凍結」を実施しました。これによって、預金者は引き出し限度額(政府が指定した金額)を超える引き出しをできなくなりました。
その時の引き出し限度額は「1カ月あたり」で「世帯主は300円(現在価値で12万円程度)」まで、「世帯員は100円(現在価値で4万円)」までしか引き出すことができませんでした。家庭の生活費として特別に認められた金額もありましたが、この金額も厳しく制限されていたようです。
新たしい通貨「新円」を導入するも、その交換には「制限」がかかっており、3月2日には「10円以上(現在価値で4千円)」の旧円は無効化(交換不可)されました。
さらに重ねて、タンス預金を強制的に銀行へと預金させ、生活費・事業費の一部のみを「新円」で引き出し可能とさせたのです。これら一連の措置と流れが「新円切替」というわけです。
高額の財産を持つ者に対して、高税率となる「財産税」を課し、富の再分配と財政再建を図りました。財産税は資産額に応じて「25%から90%」ものえげつない税率を課したそうです。
この財産税は、預金だけはなく、株式や不動産、金なども含まれていたそうです。
預金封鎖実施の流れ
2月16日:預金封鎖の発表が突然、政府によって国民に行われました。その翌日に全国の銀行で預金の封鎖が実行されます。
2月25日:旧円から新円への切り替えが始まりました。旧円は新円に対して「1:1」のレートで交換されていましたが、制限が設けられました。
預金封鎖が与えた影響
当時の預金封鎖と新円切替は、主に以下のような影響を与えました。
日本に与えた3つの影響
- インフレーションの抑制
一時的に物価上昇を抑える効果がありました。しかし、根本的な経済問題が解決されたわけではなく、その後もインフレーションは続くことになりました。 - 経済の混乱
預金の封鎖と新円切替は、企業活動や日常生活に大きな混乱を引き起こしました。これによって、多くの人々が現金不足に苦しみました。 - 富の再分配
財産税の導入により、高額財産を持つ者から税収を得ることで、富の再分配が行われました。しかし、この措置も限界があり、経済全体の安定には至りませんでした。
預金封鎖当時の国民の生活
実際に預金封鎖を経験した人たちによりますと、この政策によって食料の確保がさらに困難となったそうです。そこで、川の堤防で採った「野草」を茹でたりして、わずかなお米と一緒にお粥にして混ぜて食べたりしたそうです。
もはや被害者と言っても過言ではない、この当時の国民の気持ちは「物心両面で辛い心境だった」ということに尽きるでしょう。きっと、当時の国民の身体的な苦しみと精神的な苦しみはとてつもなく辛いものだったと思われます。
お金があっても欲しいものが買えない、そもそも物資がないのだから欲しいものが十分に手に入らないというのが、預金封鎖当時の国民の生活だったそうです。
続いては、渋沢栄一の新紙幣発行の状況がどうして、預金封鎖当時の日本と酷似しているのかについて、その理由と日本政府の真の思惑と狙いについて、解説していきたいと思います。
渋沢栄一の新紙幣発行の状況が預金封鎖当時と酷似している理由
本日発売の週刊朝日の3ページに渡る記事「近づくハイパーオンフレ・預金封鎖も」に私の長目のコメントが載っている。私の他に小幡慶応大学院教授、小黒法政大学教授、このお二人とも財務省出身だが、かなりの危機感を表明している。小幡教授は「財政は必ず破綻します」と断言されている。 pic.twitter.com/7S5Yzblp2I
— 藤巻健史 (@fujimaki_takesi) July 7, 2020
今週初めの週刊朝日に次いで昨日発売の週刊現代も「預金封鎖の可能性」について触れていた。こんなに紙幣を垂れ流していれば、MMT 信者でなければ、心配になるのは、当然だろう。私のコメントは最後にごく短く「流動性がある仮想通貨の口座を一つは開設しておいた方がいいかもしれません」のみ載った。 pic.twitter.com/mlO19PerPh
— 藤巻健史 (@fujimaki_takesi) July 11, 2020
7月3日から新紙幣の流通が始まることから、日本政府がいま再び「預金封鎖」するのではないかと、噂されている理由と、いまの日本が預金封鎖当時の状況に似ていることについて深堀していきます。
1946年の日本と2024年の日本の共通点
読者の皆さんには、今一度ここで思い出してほしいことがあります。1946年当時の日本の借金(戦時国債)はGDPのおよそ2倍でしたよね。それではいまの日本の借金はいくらなのでしょうか。
財務省によりますと、日本の借金残高(国債)は、2023年末時点で「過去最大となる”1286兆4520億円」になったと発表されています。
そして、この日本の借金は対GPD比ではなんと「258%超」という数字にまで膨らんでいるんですね。これは、すでに預金封鎖当時の1946年時よりも悪い状況なんです!ちなみにこれは、主要先進国での中で最も高い水準となります。詳しくは以下の財務省のページをご覧ください。
>>>日本の借金の状況
また、ハイパーインフレとまではいかないにしても、もはやいまの日本で暮らす一般庶民の方なら「物価が高騰している」という、いわゆるインフレ状態なのかが考えずともわかると思います。
つまりはまとめると、以下のようになります。
- 1946年と現在の日本は国債の対GPD比率が2倍以上である
- インフレという名の物価高に見舞われている
このような、大きく2つの共通点があることがわかりました。
新紙幣発行における日本政府の思惑と狙い
読者の皆さんは、日本にいったいどの程度の眠ったお金があるかご存知でしょうか。これはいわゆるタンス預金のことになります。日本では、表に流通している以上の金が眠っていると言われています。
2023年12月の時点で、日本におけるタンス預金残高は「59.4兆円」と言われています。1946年当時の預金封鎖のように完全に旧紙幣が使えなくなることはないと思われますが、旧紙幣が流通しなくなれば、旧紙幣でタンス預金をしている人たち(主に富豪などの資産家)は、自ずと銀行などでまとまった金額の旧紙幣を交換するようになると思われます。
日本政府は、そのタイミングで各金融機関による彼らの「個人資産」を把握しようという思惑と狙いがあると言われています。
つまりは、見えない眠ったお金の実態把握を、これを機に行いたいということになりますね。
預金封鎖が行われた本当の目的
それでは最後に、もはや都市伝説と言われてもおかしくはない域のあくまで仮説のお話しをしていきましょう。
以前のNHKの番組では、当時の大蔵大臣だった「渋沢敬三」の預金封鎖に込められた「本当の目的」を明らかにしていたことはあまり知られていません。
それは恐ろしいもので、当時の「預金封鎖の本当の目的(狙い)は、国民に財産税を課して、国の借金(戦時国債)を返済する」というものだったそうです。
このことについて、渋沢敬三本人が証言しているところが記録されてしたというから驚きですよね。
財産税の対象の中でも、預金は政府にとっては税金を課しやすいことから、この預金を減らさないためにも実のところは預金封鎖をする必要があったというわけだったんです。また、政府は国民のタンス預金についても対策として、預金封鎖と新円切替を同時に行うことで、旧紙幣を事実上使えなくしてしまいましたよね。
そして、奇しくも今回の新札デザインに使用されているが「渋沢栄一」であることから、この史実を知ったものなら誰もが考えてしまいたくなる、そんな気持ちからこの噂が蔓延したというわけです。
渋沢栄一の孫が過去に預金封鎖!新紙幣発行が誘う最悪の仮説を解説!
今回は、以下の内容についてお伝えしてきました。
- 渋沢栄一の孫によって起きた預金封鎖とは
- 新紙幣発行の状況が預金封鎖当時と酷似している理由
かなり内容が濃く、長くなってしまったことからわかりづらかった読者の方もいらっしゃると思いますが、できるだけわたしなりに噛み砕いてお伝えしたつもりです。
あまりにも、あの当時といまの日本で起こっていることが酷似していることから、最悪の事態を歴史に映したくなる気持ちもわかりますよね。さあ、果たして今回の新紙幣の発行がいったいなにをこの国にもたらすのか、この記事を書いた筆者としても注視して見守りたいと思います。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!
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