文明堂カステラのCMは関東限定?猫のキャラクターは熊だった?

文明堂カステラのCMは関東限定だった?あの猫のキャラクターは熊だった?
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昭和生まれの人にはとっても懐かしい「3時のおやつは文明堂」でお馴染みだった、文明堂カステラのCMがX(旧 ツイッター)でトレンド入りしています。

そんな、お馴染みのCMが初めてテレビ放送されたのが1962年ということですから、そこから若干のマイナーチェンジはあったものの、実に60年以上も変わらずお茶の間に流れ続けているんですね。

そこで今回は、

・文明堂カステラのCMは関東限定ローカル放送だった

・猫だと思ってたCMキャラクターは実は熊だった

主にこちらの内容について真相に迫っていきたいと思います。

目次

文明堂カステラのCMは関東限定ローカル放送だった

出典:「PR TIMES」

カステラの文明堂と言えば、昭和生まれの人間なら誰でも知っているほどの有名なCMでお馴染みですよね。ようやく、テレビが一般家庭に普及しはじめた頃からずっと変わらず放送し続けています。

そんな文明堂CMのキャッチフレーズだったのが「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂」ですよね!知る人ぞ知る、本当に懐かしく耳に残る名曲?名CMですね。東日本の方にはお馴染みの「株式会社文明堂東京」のカステラは昔から親しまれて来ましたね。

文明堂カステラのCM

実はこのCMですが全国区ではなく「関東ローカル」だったんです。YouTubeには「【関東ローカルCM・1978年】文明堂豆劇場「ペンギン」」というタイトルで、その時代のCMがアップロードされており、文明堂銀座店の人気がなく、3ヶ月で終了したという情報も含まれています。このCMは、特に関東地方でのみ放送されていたことが示唆されており、全国放送されていたわけではなかったんですね。

また、調べてみると「カステラ一番、電話は二番」のフレーズは、文明堂総本店(長崎県)や文明堂神戸店(兵庫県)でもCMに使用されていたものの、メロディーや内容は異なっていたとのことです。このフレーズは多くの人に親しまれていますが、関東地方で放送されたCMが特に有名であることがわかります。

この情報から、文明堂のカステラCMが関東限定のローカルCMだったことが確認できます。全国的に知られているフレーズであるにもかかわらず、その放送範囲には地域差があったようです。

猫だと思ってたCMキャラクターは実は熊だった

出典:「文明堂」

文明堂カステラのCMに登場するキャラクターですが、実は猫だと思ってたら熊だったんですね。これには、個人的に爆笑してしまいました(いま、見てもネコにしか見えない)。

あのCMに登場するキャラクターは子熊の「カンカンベア」という名前らしいです。この子熊がカンカンダンスを踊っているCMですが、実は1962年(昭和37年)から現在までずっと続いていたんですね。文明堂では、1951年(昭和26年)民放開局の頃にカステラをお土産やお見舞いの品というだけでなく、気軽に買える身近なお菓子にするため、当時最先端だったテレビCMを流すことにしたそうです。

出典:「東南アジア半年生活の旅行記と食べ歩きグルメ地図」

文明堂は、カンカンベアというキャラクターにたどり着くまでに試行錯誤の10年を費やしました。

1953年(昭和28年)当時のCMでは、まったく別のアニメや人形劇など子供ウケしそうな楽しいCMを作って多くのチャンネルで放送していたそうです。それから、歳月を経て担当者が、当時人気番組に出演していた、オーストラリア人のノーマン&ナンシー・バーグ夫妻のマリオネットショーを観て一目惚れ。楽しい音楽に合わせてぬいぐるみの動物がダンスを踊るというアイディアを思いついたそうです。

実は、ショーで使用したマリオネットのぬいぐるみや小物はすべてバーグ夫人の手作りだそうです。

ちょっと小話ですが、CMを見た人はわかると思いますが熊にしてはしっぽが長いようなイメージありませんでしたか?

実はバーグ夫妻は、キャラクターを当時欧米で人気だったネコにしようと思いしっぽを長くしていたそうです。しかし、当時の日本ではネコよりもクマの方が人気が高かったため「子熊ということで」と了承をいただいて、晴れて文明堂の子熊「カンカンベア」が誕生しました。

昭和にはじまった文明堂カステラのCMはいまもこれからも続く

今回は、文明堂カステラのCMは関東限定ローカル放送だった、猫だと思ってたCMキャラクターは実は熊だったついて考察ついて迫ってきました。

文明堂のキャッチフレーズにまつわるお話

最後にCMのキャッチフレーズでお馴染み「電話は二番」にまつわるお話をご紹介しましょう。

電話が普及した始めた1890年代は、電話と電話の間に「交換手」と呼ばれる人たちがいて、その交換手が毎回毎回、通話相手を繋げる役割を担ってくれていました。当時は、受話器をあげるとまずは交換手に繋がり、そこから相手先の住所と「○番」を伝えることで、ようやく電話が相手に繋がったようです。

そして、この「○番」が文明堂の場合は「二番」だったそうなんです。

文明堂では当時「電話帳を探す時間と手数を省くだけでも、お客様に対する大きなサービスである」とし、創立者である「宮﨑甚左衛門」氏はカステラの本場、長崎から東京へ進出する際、電話番号を東京の方たちにも覚えてもらいやすくする番号にしたそうです。ちなみにですが、当時の新宿店は「二番」ではなく「九一番」のキャッチフレーズで始まったようです。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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沼主

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