朝日新聞阪神支局襲撃事件とは?赤報隊事件の真相に迫る

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赤報隊を名乗った犯人は誰だったのか──未解決の核心に迫る

1987年5月3日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局で起きた散弾銃襲撃事件。記者2名が殺傷され、言論弾圧事件として社会に衝撃を与えたこの事件の犯人は「赤報隊」を名乗っていた。しかし、30年以上経った今も、彼らの正体は霧の中だ。赤報隊とは何者だったのか?なぜ犯人は特定されず、事件は未解決のままなのか?この記事では、この謎を資料と証言をもとに整理しながら、俺自身の違和感と疑問も交えて考えていきたい。

そもそも「赤報隊事件」とは何だったのか

「赤報隊事件」とは、1987年から1990年にかけて「赤報隊」を名乗る犯人が起こした一連のテロ行為を指す。特に、1987年5月3日の朝日新聞阪神支局襲撃事件が象徴的だ。この事件で29歳の小尻知博記者が死亡し、42歳の犬飼兵衛記者が重傷を負った。犯行声明には「反日分子を処刑するために結成された実行部隊」とあり、朝日新聞への強い敵意が明確に示されていた。

このほかにも、1987年1月の朝日新聞東京本社銃撃事件、同年9月の名古屋本社社員寮襲撃事件、1988年の静岡支局爆破未遂や元首相脅迫事件、リクルート会長宅銃撃事件、1990年の愛知韓国人会館放火事件など、計7件が関連する。これらは警察庁の広域重要指定116号事件として扱われ、国家的なテロ事件として位置づけられたが、2003年にはすべて公訴時効を迎え、未解決のままだ。

この一連の事件で犯人が使った言葉、声明文の文体、犯行方法に一貫性が認められているが、肝心の犯人像は掴めていない。Wikipediaで概要を見る

犯人はどのように犯行を行い、何を残したのか

5月3日夜、阪神支局の編集室に黒装束の男が散弾銃を持って押し入り、犬飼記者の左胸を狙って発砲。無言で1分足らずで立ち去った。犯人は目出し帽で顔を隠していたため年齢や顔は不明だが、現場に居合わせた記者たちは「20〜30代の若い男ではないか」と証言している。犯行声明はワープロ文書で複数の通信社に送られ、犯人は自らを「日本民族独立義勇軍 別働赤報隊」と名乗った。

犯行声明には「反日分子には極刑あるのみ」「われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける」といった一貫した過激な思想が表れている。靖国神社の公式参拝問題や戦後民主主義の否定、在日韓国人への強い敵意など、政治的・国粋的な動機が見て取れる。

しかし、この声明文は複数回にわたり同じ用紙、同じワープロ機種で作成されており、犯人グループが一定の知的水準を持ち、一貫したメッセージ発信をしていたことがわかる。警察は言語学者に解析を依頼し、筆者は30代以上の知的な人物と推定している。

有力説:犯人は右翼系の国粋主義者、あるいはその周辺者だったのか?

警察の捜査では、犯人の思想的背景として「戦後体制否定」「靖国参拝や教科書問題への強い反発」が挙げられている。実際、犯行声明は朝日新聞を「反日」と執拗に批判し、戦前回帰の思想を示唆する文言もある。犯人が散弾銃を扱う技術を持ち、冷静かつ大胆に行動できたことから、自衛隊経験者や右翼団体の関与が疑われた。

その中で特に注目されたのは、兵庫県警が「疑惑の中心地」と称したある右翼関係者の存在だ。この人物は旧日本陸軍の軍機関誌に「中曽根総理にもの申す」を寄稿し、靖国神社参拝や教科書問題で朝日新聞を批判していた。彼の周辺には「赤報隊」の犯行声明に似た思想が蔓延しており、警察はこの人物の影響下に犯行があった可能性を指摘している。

また、「一水会」や「大悲会」といった新右翼団体が捜査の焦点となり、元一水会幹部の鈴木邦男は赤報隊の若いメンバーと接触したことを公言している。さらに、野村秋介という右翼活動家が赤報隊事件の「黒幕的存在」とされ、彼の自決後に赤報隊の動きが止まったとも言われている。

こうしたことから、赤報隊は右翼系の過激派あるいはその周辺の自衛官経験者などが結成したグループであった可能性が高いと考えられている。

しかし、その有力説にも限界と疑問が残る

いくら右翼団体や国粋主義者の関与が濃厚だとしても、直接の実行犯が誰かは特定されていない。捜査では10人程度の容疑者リストが作られたが、全員が否認し、ポリグラフ検査でも否定的な結果が出ている。また、複数の事件で目撃された犯人像に差異があることから、実行犯は複数であったとも推測されている。

さらに、事件の直前には阪神支局周辺で不審な車両が目撃されており、これらの関連は不明だが、単独の個人による犯行とは考えにくい状況もある。犯行声明に使われたワープロや用紙の痕跡からは、同一人物が文章を作成している可能性が高いが、その「指令部」や後方支援組織の存在を示す証拠は見つかっていない。

また、統一教会との関係が噂されたこともあったが、警察は組織的な関与は否定しており、脅迫状に使われた薬莢の違いや筆跡の相違から、別件の悪質イタズラと結論づけている。政治的圧力で捜査が制限されたという証言も残るが、これも確証はない。

異説と残された謎

別の説としては、「日本民族独立義勇軍」という名を使う別グループの関与も指摘されている。これは1980年代初頭から朝日新聞や米・ソ領事館などを標的にしたテロ事件を起こしていた組織で、赤報隊事件と思想的に似通っているが別系統とされる。警察は両者を区別しているが、同一グループ説も根強い。

また、犯人が複数であり、実行犯、声明文作成者、指令者、逃走幇助者が別々の人物である可能性もある。元旧統一教会幹部の証言では、実行犯と指示者は異なると語られており、事件の構図は単純なものではない。

現状、警察は事件の資料を保管し、情報提供を呼びかけているものの、時効成立により犯人の処罰は困難となっている。真相は闇の中だ。

結局、赤報隊の正体はわからないままだ

ここまで資料を追い、整理してみて、赤報隊事件は単なる凶悪犯罪ではなく、思想的な動機と複雑な組織関係が絡み合った政治テロ事件であることがわかる。だが、犯人の特定はできず、警察の絞り込みも妥当な線までしか進んでいない。

俺には、この事件の核心は「誰が撃ったか」よりも、「なぜ撃つことを決断したのか」「なぜその思想が暴力を選ばせたのか」という点にあるように思える。犯人は単なる個人の狂気ではなく、時代の空気、政治の閉塞感、社会の分断を反映しているのだろう。

それにしても、赤報隊を名乗った連中は、なぜ自らの正体を隠し続けたのか。暴力の正当化を叫びながら、匿名のまま消えた彼らは、まるで幻のようだ。ここがどうにも引っかかる。彼らは本当に一つの組織だったのか?それとも、思想を共有する複数の暴走者が偶然に似た犯行声明を使ったのか?

事件が時効となり、犯人が裁かれないのは無念だが、この謎が放置され続けること自体が、戦後日本の言論と政治の複雑な闇を映す鏡なのかもしれない。俺はこれからも、この闇の片隅で赤報隊の影を探し続けるつもりだ。

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沼主

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