この記事では次の内容についてお伝えしていきます。
- 木村拓哉の弟 俊作の経歴や身長
- 木村拓哉の弟 俊作が逮捕された過去
木村拓哉と弟 俊作の経歴や身長について
木村俊作さんは、国民的アイドルグループだった元SMAPの“キムタク”こと、木村拓哉さんの弟です。あまり知られてはいませんが、アメフト界では世界選手権で日本の優勝に貢献するなど、木村拓哉さんとは別の業界で活躍されています。
ここでは、知られざる木村拓哉さんの弟でもある「木村俊作」さんの経歴やプロフィールについて、深堀しながら、ご紹介して行きたいと思います。
木村俊作のプロフィール
- 本名:木村俊作(きむらしゅんさく)
- 愛称:キムサクまたはキムシュン
- 年齢:44歳(1979年7月29日)
- 出身:千葉県
- 身長:180cm
- 体重:89kg
- 血液:B型
- 職業:企業経営者、アメフト選手、アメフトコーチ
- アメフトのポジション:ラインバッカ―
木村俊作:身長
2023年頃から、兄 木村拓哉さんの「身長詐称疑惑」が話題になっています。プロフィールには「176cm」とあるのですが、実際の身長はそれよりも低い(身長170cm前後)のでは?という憶測が番組共演者たちとの慎重比較で検証されています。
そこで気になるのは、弟である木村俊作の身長になるのですが、プロフィールに記載があるように「180cm」と日本人男性の平均身長は「172cm」なので、それと比べると高いほうになります。
これでもし木村家族全員が、平均身長よりも下回っていたら疑念がより色濃くなりましたが、実の弟である木村俊作さんが平均身長よりもだいぶ高いことから、その兄の木村拓哉さんも「176cm」くらいあったとしても特段の違和感はありませんね。
木村俊作:学歴
木村俊作さんは実家が千葉県千葉市でしたが、東京都中野区にある私立高校である「堀越高校」に通っていました。堀越高校というのは、アイドル出身者などの芸能人御用達の高校らしいですが、実はその一方で、優秀なスポーツ選手を育てている環境も整っているようで「体育コース」も設けられているそうです。
俊作さんが堀越高校で「アメフト部」に入部したことから、スポーツ環境が整備されていること、兄である木村拓哉さんは「東京代々木高等学校(現 世田谷泉高等学校)」と堀越高校とは違う高校に行っていたことから、俊作さんは「スポーツ環境が整った高校に進学」したかったのだと思われます。
俊作さんはその後、日本体育大学体育学部に進学、本格的にアメリカンフットボールの世界で大活躍をしていくことになります。
木村俊作:経歴
ファッションデザイナーとしてブランドの立ち上げ
2002年3月、木村俊作さんは日本体育大学を卒業した後、オリジナルファッションブランド「SHUIP(シュイップ)」を立ち上げ、ファッションデザイナーの道を歩みだすことになります。この「SHUIP」は、俊作さんの出身校である堀越高校時代の同級生「老川一平」さんと2人で立ち上げたブランドになります。ブランド名は俊作の「SHU」と一平の「IP」を掛け合わせて考えた造語なんだとか。
>>>SHUIPについて詳しはこちら
サラです❣️
— Sarah 湯河原 (@Sarah76352179) February 5, 2017
売り尽くしセールです。🎉
画像のSHUIPのスカジャージ、
定価5,900円の商品ですが、
税込み1,900円でOKです。
Mサイズのみです。😊👍✨ pic.twitter.com/DPjitWEQLN
服のデザインは日本風な「和柄」の多いアイテムが多く見受けられました。当時、店舗の立地は東京代官山の駒沢通り沿いにあったそうなのですが、実は4年後の2007年に閉店されており、SHUIPというブランドも活動を終了したようです(ファンからはプレミアブランドとしていまでも高値で取引されているんだとか)。
アメリカンフットボールで大活躍
2002年4月、木村俊作さんは23歳の時に社会人アメリカンフットボールチーム「アサヒビールシルバースター」に入団しました。アサヒビールシルバースターは、1970年に設立された日本屈指の強豪チームであり、その後の活躍からも俊作さんの実力は明らかでした。なお、X1 Superに所属する「アサヒビールシルバースター」は2024年度より名称を「オリエンタルバイオシルバースター」に変更しています。
>>>【お知らせ】アサヒビールシルバースターがチーム名を「オリエンタルバイオシルバースター」に変更
チーム内での俊作さんのポジションは「ラインバッカー(LB)」でした。翌年の2003年にはドイツで開催された「アメリカンフットボール・ワールドカップ(現在のIFAFアメリカンフットボール世界選手権)」に日本代表として参加し、日本は強豪メキシコを(34-14)で見事に撃破して優勝を果たしました。
俊作さんは、華々しい実績を残して翌年、自身のアメフトを引退しています。ちょうど、この頃は兄 木村拓哉さんの次女「Koki」さんが誕生した絶好調の時期とも重なっていますね。
リングデザイナーとして起業
2005年9月、木村俊作さんは「有限会社NFF」という会社を起業し、自衛官、海上保安庁や警察官向けのカレッジリンクの制作・販売をスタートします。なかなかニッチな客層に対して商売をしているようですが、これもアメフト時代からの人脈や実績があったからこその成果なのでしょう。
俊作さんは、現在時点でも同社の営業活動は継続しており、昨年始まった「インボイス制度」にも2023年10月時点で、適格請求書発行事業者として登録を完了されているようです。
モデルとしてランウェイを歩く
https://t.co/hzYtoDDaoQ Amazon Fashion Week Tokyo
— H FRACTAL (@HFRACTAL) October 16, 2018
「MUZE / ミューズ」の元アメフト日本代表木村俊作氏がモデル出演。https://t.co/bAFcr0L6WA pic.twitter.com/G0GVZXUt4R
2018年10月には、渋谷ヒカリエホールで開催された「Amazon Fashion Week Tokyo 2019年春夏シーズンの『MUZE』ブランドのランウェイショー」にモデルとして出演を果たします。
MUZEは「MODERN」をコンセプトに掲げており、現代社会で闘う人々に外見と内面の美しさを提案するブランドとして有名ですから、そのブランドのファッションモデルになれたことは本当にすごいことだと思います。
42歳でアメフト選手として現役復帰
驚くことに、木村俊作さんは2021年当時42歳にして、引退したアメフトに選手としてカムバックを果たします。復帰先のチームはXリーグに属する電通社『電通キャピタラーズ』で、ポジションはラインバッカーとしてプレイしています。
また、2019年からは防衛大学校のアメリカンフットボールチーム『Cadets(カデッツ)』のコーチとしても活動しています。このCadetsというチームは、学生たちが自衛官としてのリーダーシップやチームワークを学ぶための活動の一環として機能しているそうで、日本の学生アメフトリーグに参加しているチームでもあります。
きっと、この活動もNFFの「カレッジリング」事業にも大きく貢献しているのだと思います。
木村拓哉と弟 俊作が逮捕された過去の真相!
【独占】木村拓哉の弟“キムサク”こと木村俊作氏に不倫トラブル「妻と別れて再婚する」と約束した女性に「お前は兄貴の事務所に潰される」非道な言葉と“逮捕”の過去 | ガールズちゃんねる – Girls Channel – https://t.co/gSqeKZ6PmU pic.twitter.com/gl2ZJ8D99f
— GIRL'S TALK (@girlstalksocial) November 13, 2023
木村俊作さんは、お酒を飲んで酔うと暴言を吐いたり、気性がやや荒れたりといった、いわゆる「酒癖」の悪さがあるそうで、そのことについては不倫相手だったA子さんが語っています。
詳しくは、「【木村拓哉の弟】結婚から離婚まで嫁への裏切り!不倫と再婚エピまとめ!」の記事をご覧ください。
2020年7月29日のこと、俊作さんは自身の誕生日に飲み過ぎたようで、出来上がった俊作さんは一般人の車をタクシーと間違えてしまい、窓を殴りつけたという事件を起こしているんです。その時に着用していたイカツイ指輪のせいもあってなのか、殴ったことが原因で車体に傷をつけてしまい、その場で現行犯逮捕されてしまいます。
ちなみに、このときの出来事について(当時の)不倫相手だったA子さんに対して「俺はずっと中学生のままだ」と悪びれることもなく語っていたそうです。
【インスタ画像】木村拓哉の弟 俊作の経歴や身長!逮捕された過去!
今回は、以下の内容についてお伝えしてきました。
- 木村拓哉の弟 俊作の経歴や身長
- 木村拓哉の弟 俊作が逮捕された過去
木村俊作さんを取材するにつれて、彼の二面性にはやや驚かされるところがあります。一つは、日頃の仕事やスポーツに対する言動ですが、こちらについては紛れもなくその活動に対する評価や実績は本物であると言えるものでしょう。しかし、もう一つである私生活、特に「女性」に対する言動については、別の記事でも紹介した通り、褒められる部分は少ないどころか、相手女性を酷く扱い、傷つけているという印象を拭えないものがありました。
とりわけて、ネガティブなゴシップネタは、芸能雑誌などの美味しいご飯になるため、特に超有名人である「木村拓哉」さんを兄に持つ俊作さんは、何かと“キムタク”と関連付けてネタにされやすい傾向があるんだと思います。そのため、慎重な行動や思慮深い対応を意識しなければ、今後また似たような問題を起こしたら、酷く叩かれる可能性があることは言うまでもありません。
もう40代半ばに差し掛かったこともあるため、お子さんの手本、教え子である学生の手本になる素晴らしい父親でありスポーツ選手であった欲しいと思いました。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!
コメント