あさま山荘事件は、1972年2月19日から2月28日まで長野県軽井沢の「浅間山荘」で起きた人質立てこもり事件です。この『あさま山荘事件』は日本史上最大の「人質奪還作戦」と言われています。
いまの若い人はほとんど知らないと思いますが、事件当時はテレビで生中継され非常に高い視聴率を記録、事件が起こった浅間山荘は、当時「河合楽器製作所健康保険組合」が所有していました。
そこで今回は、
・あさま山荘事件の場所が判明!
・あさま山荘事件が起きた現場の現在の状況を調査!
主にこちらの内容について迫っていきます。
あさま山荘事件の場所が判明!
あさま山荘事件の舞台となったのは、長野県北佐久郡軽井沢町に位置する「浅間山荘」でした。当時としては先進的なリゾート地の一角にあったこの保養所が、連合赤軍のメンバーによって衝撃的な立てこもり事件へと発展していきます。
当時はなかったですが、いまはGoogle MapというGPS機能を登載したツールがあるので、実のところ、目的地を設定しておけば驚くほど簡単に行くことができます。
実際に行かれた方が設定した「あさま山荘事件の場所」になります。
なお、北軽井沢や小諸に行くと「あさま山荘」の看板を見かけたりと、名前が同じ山荘が散見されるので、間違えないように注意が必要ですね。実際の事件があった、元「浅間山荘」跡地は現在は使われておらず、案内看板なども一切ありません。なんだか、ホラー映画のような展開ですよね。
浅間山荘は、南軽井沢のレイクニュータウンという別荘エリアあります。すでにゴーストタウン化しているようで、普段は人気もなく夏のシーズン中だけ賑わうんだそうです。ますます、ホラー映画のような展開ですね。
赤い屋根が特徴の「あさま山荘事件があった浅間山荘」ですが、不動産登記簿によると「2008年(平成20年)に東京都新宿区の中国系法人」に所有権は移転しているようです。
事件当時に警察が人質を救出するため山荘の壁を「鉄球」で一部破壊したとされるキズはないようで、事件後に修繕されたようです。
あさま山荘事件が起きた現場の現在の状況を調査!
あさま山荘事件のあった「浅間山荘」はいまも、当時のままの姿で残っています。正直言って、ホラースポット巡りが好きな身としては、めちゃくちゃ心霊スポット感が漂っているしか思えないクォリティと立地環境です。
浅間山荘は1969年(昭和44年)に河合楽器健康保険組合によって立てれたそうで、不動産登記情報から当時は「鉄筋コンクリート鉄骨造の3階建」だったようなんだけど、事件後1973年(昭和48年)には「4階建」に増築がされたそうです。何かあったんでしょうかね・・・。
この保養所の特徴は山の斜面に建てられたことから、階が上がるにしたがい床面積が広くなるという「逆ピラミッド型」のなんとも変わった構造になっています。
各階の広さ
- 1階:40㎡
- 2階:79㎡
- 3階:142㎡
- 4回:172㎡
延べ床面積は433㎡(増築後)となっていて、出入口は3階部分にあり、事件の際に鉄球で破壊されたのは4階の外壁だそうです。
事件から50年以上経過しているものの、建物は外壁の経年劣化や室内の障子の破れなどはあるにせよ、問題なくがんばれば再利用ができそうな状態のようですね。でも、ここ住むとか勇気いりますね・・・。
2012年1月12日号「週刊新潮」掲載の記事によると、浅間山荘を取得した中国系法人は当時の不動産会社の広告を見て「1,300万円で購入した」、さらに「事件について知ったのは購入を決めてから」と答えており、利用目的については「具体的な計画はまだ決まっていない」とのことでした。
しかし、購入後の2009年には法人代表者は、香港の現地誌に対して「あさま山荘事件からもうすぐ40年。50年周年、半世紀たった時にはすごいぞ。1人1,000円の入場料で充分だ」と答えているようで、どうやら、浅間山荘を「観光目的」で使用する計画だったらしいです。
しかし、実際は52年目を迎えるいまとなってもその計画は進んでいないようなので、とん挫したのか、法人代表者がいなくなってしまったのか、いずれにしても謎を残したままとなっています。
あさま山荘事件の記録は風化したが浅間山荘は現存してした!
今回は、あさま山荘事件の場所が判明と、あさま山荘事件が起きた現場の現在の状況を調査について迫ってきました。
この記事では詳しくは紹介していませんが、本当に事件内容は衝撃的なもので、直接的な事件内容はもちろんですが、関連して連合赤軍のメンバーが起こした事件も凄惨なものでした。
今もなお、当時のままの姿を保っている「浅間山荘」は静かに、あの場所で、50年の時を超えて、いまも時を刻んでいます。多分、使われていない保養所としても長寿ではないでしょうか。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!
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